ジャイアンツ日記を中心に、堀田クンの記事をUPしました。2000.4.18以降のものです。
2003年5月6日(月)
〜スポーツ報知より〜
泣けた堀田プロ1号
ヲ4日の鈴木に続いた7年生
無我夢中だった。バットを振り抜いた。そして、堀田は一塁に全速力で駆け出した。心地のいい両手の感触が“まさか”の期待を膨らませる。「いけえっ!」右中間へ伸び続ける打球に何度も絶叫した。白球はふわりと、スタンドへ吸い込まれた。
ヲ家族と2軍スタッフに感謝
苦節7年。プロ入り初アーチは、本拠地の東京ドームだった。3回無死、カウント2―1。高橋の142キロの直球をとらえた。「とにかくうれしいです」とベンチ内で広報にコメントを求められると、顔をタオルで覆った。両目から流れ出る熱いものをぬぐった。桑田、清原の“KK世代”にあこがれて育った男だからこそ、力強い勇気となった。試合前、ロッカーが隣の清原に「きょうは先発か? 思い切ってやれよ」と声をかけられた。「腐らずにやっていれば、いいことがあると思った」ベンチへ戻るとあこがれの先輩に、握手で祝福された。体全体のバランスを考え、トレーニングジムに昨オフから通い出した。パワーアップではない。歩き方など、人の動きを基本にしたものだ。自分への投資が、少しずつ実になった。「迷惑をかけてきた家族、2軍スタッフに報告したい」周囲への感謝の気持ちも忘れていない。負傷者続出のチームは厳しい戦いが続くが、堀田にとっては、1軍への生き残りの戦いだ。前夜(4日)には、プロ入りが同期の鈴木が初アーチを放っている。「とにかく、あしたから、また頑張ります」チームが敗れただけに、試合後は神妙だったが、ホームランバットだけは、大切に持ち帰った。
◆堀田 一郎(ほりた・いちろう)
1974年4月18日、北海道生まれ。29歳。北海高から中大を経て、96年ドラフト6位で巨人に入団。昨年は16試合に出場し、打率1割1分8厘だった。181センチ、81キロ。右投右打。
2003年3月6日(木)
〜スポーツ報知 ジャイアンツ日記より〜
毎年恒例のオープン戦・札幌シリーズがスタートした。選手たちが「やっぱりここは寒い」と身震いする中、巨人で唯一の北海道出身者・堀田は普段通りに練習をこなしていた。「僕の生まれた所は、ここからだいぶ離れてますからね」生まれは何と札幌から車で5時間かかる広尾町。9日には両親が息子の雄姿を見に札幌ドームを訪れる予定だが「沖縄から飛行機で来るほうが近いくらいですからね。申し訳ないような」と苦笑いしていた。
2003年2月15日(土)
〜スポーツ報知より〜
『まぐれの1号』
紅白戦で8回1死、酒井から左翼へのソロ。1軍合流後すぐに、結果を出したが「まぐれが出たよ」と照れた。木佐貫については「球に威力がある」と絶賛。
2002年10月23日(水)
〜ジャイアンツ公式HPより〜
4回、2死3塁から右越えタイムリー2ベースを打った堀田選手の話
「打ったのはアウトコースのストレート。初球、頭の近くに(投球が)来たので、この打席では、絶対腰を引かないようにと心掛けていました。だから外のボールでも打てたんですけどね。安藤? 一軍で投げているピッチャーですし、やっぱりいい(投手)ですね。自分もいい緊張感を持って打席に入れますし、そういうピッチャーから結果を出せたというのは自信になります」
2002年10月19日(土)
〜ジャイアンツ公式HPより〜
2打数1安打3盗塁の堀田選手の話
「今のモチベーション? それはいつもと同じで、与えられた環境の中でも全力でやるだけです。監督から“この教育リーグでは、結果よりも自分で課題を作ってやっていい”と言われているので、今はセンターから右方向へのバッティングを心掛けています。シーズン中、アウトコースの変化球の見極めがまだまだ甘かった部分があるので、それを課題に取り組んでいます」
2002年9月30日(日)
〜ジャイアンツ公式HPより〜
8回、19号ソロを左翼へ放ち、ホームラン争いトップタイに並んだ堀田選手の話
「打ったのはスライダー。2−2と追い込まれていたのでストライクが来たら思いきって行こうと思っていました。少し泳ぎ気味だったので打ち方としてはあまり良くなかったけど、うまくバットに引っ掛かってくれましたね。本塁打争いしているヤクルト・畑山に並んだ?素直に嬉しいです。残り試合は2つしかないけど、ここまで来たら単独で獲りたいです」
2002年9月24日(火)
〜ジャイアンツ公式HPより〜
4回無死から左中間へ18号ソロ本塁打を放った直後の堀田選手の話
「打ったのはインサイドに入ってくるスライダー系のボールでした。少し泳ぎ気味でしたけどうまく打てたと思います。5点取られた直後でチームに勇気を与えた?そうですね。絶対に負けられないですから、まだまだ頑張ります」
2002年8月15日(木)
〜スポーツ報知・ジャイアンツ日記より〜
試合前の練習を終えた堀田が、ヤクルトの練習風景に視線を走らせた。「若松さん、いない?」と若松監督を探していたのだ。実は、若松監督は北海高OBで、同高出身の堀田にとっては大先輩。「あいさつしたいんだけど、昨日(13日)もできなかったんだ」と弱り顔だ。当の若サマは、ベンチにいたかと思えば、外野まで出ていって野手の様子を見る神出鬼没ぶり。3連戦の最終日となる15日には、必ずあいさつすることを決意していた。
2002年7月31日(水)
〜スポーツ報知・ジャイアンツ日記より〜
30日はファームの休養日。誰もいないジャイアンツ球場の室内練習場に姿を見せたのは、26日に1軍昇格した堀田だ。「ビジター用のユニホームを置き忘れてたんだ」と忘れ物を取りに来たのだが「急におなかが痛くなった」とトイレに駆け込んだ。だが、オフのため閉め切っていた室内練習場は、まさに“サウナ”状態。出てきた堀田は「死ぬかと思ったよ」と汗びっしょり。東京ドームに向かう前に、もういい汗?をかいたようで…。
2002年7月25日(木)
〜ジャイアンツ公式HPより〜
2回、左翼へソロホームランを放った堀田選手の話
「打ったのはストレート。踏み込んで行ったのでコースはインサイドよりに見えました。バットの先っぽだったけど、いい角度で上がったので打った瞬間に入ると思いましたよ。久し振りのホームラン? そうですね。ヒットはよく出ていたんですけど、当てに行っていたのかもしれません。これで5点差? 日ハムにはここまで(3勝6敗と)やられているので今日は絶対負けたくない。頑張ります」
2002年7月24日(水)
〜ジャイアンツ公式HPより〜
9回2死1,2塁から同点タイムリーを中前に放った堀田選手の話
「打ったのはシュートだと思う。だいぶ詰まってはいたんですけど、とにかく気持ちで負けたくないと思っていたので、思い切り踏み込んで行きました」
2002年6月23日(日)
〜ジャイアンツ公式HPより〜
岐阜 対西武戦 初回、左中間へ3ランを放った堀田選手の話
「打ったのはスライダー。完璧でしたから打った瞬間に入ると思いました。今年一番の当たりでしたね。2死2,3塁のケース?チャンスですけど、打席では何も考えず、打ったのは2球目でしたけど、初球から思いきり行く事だけを考えていました」
3回、一時は同点となる2打席連続3ランを左中間に放った堀田選手の話
「打ったのはフォークかチェンジアップ。少しタイミングを外されてしまったんですけど、芯で捉えていたし、いい追い風が吹いていましたからね。やっぱり1打席目に打つと、気持ち的に楽になりますよね。2打席連続本塁打は1年目の北海道遠征以来なんですよ」
堀田選手は試合前「1億年の眠りから目覚めた名水」と書かれたミネラルウオーターのペットボトルを飲みながら「俺なんか(入団して)6年間眠りっぱなしですよ」と冗談を飛ばしていたが、5打数4安打6打点に「この水、ケースごと持って帰ろうかな」と話していた。
2002年6月12日(火)
〜スポーツ報知より〜
ヲ堀田結婚 11日に入籍ヲ お相手は元ミス横浜
巨人・堀田一郎外野手(28)=写真(左)=が入籍していたことが12日、分かった。お相手は佐藤奈美江さん(37)=同(右)=横浜市在住の会社員・佐藤淳一さんの長女=。奈美江さんの誕生日に当たる11日、川崎市内の区役所に婚姻届を提出した。
2人の出会いは入団2年目の98年。知人の紹介で知り合い、交際をスタートさせた。以後、1軍と2軍を行き来する堀田の精神的な支えとして4年間、順調に愛をはぐくみ、晴れてゴールインを果たした。堀田はこの日、練習が行われたジャイアンツ球場で、チームメートに簡単な喜びの報告を行った。
奈美江さんは元ミス横浜、元ミスJR東日本の肩書を持つ折り紙付きの美人。そのうえ、長年、料理学校にも通っており、栄養に関する知識も深い。昨年から寮を出て独り暮らしを始めていた堀田の自宅でも、しばしば自慢の手料理の腕をふるっていた。堀田は「料理がとてもうまいんですよ」と大満足で、健康面のサポートも万全だ。
今季の堀田は、イースタン・リーグでチームトップの8本塁打を放つなど、貴重な右の外野手として活躍。「家庭を持ったということで、より一層、野球に集中できますからね。また新たな気持ちで頑張ります」とステップアップを誓った。挙式の予定は未定。生涯の伴侶を得た堀田が目標の1軍定着へ向け、さらなる飛躍を目指す。

2002年6月9日(日)
〜ジャイアンツ公式HPより〜
秋田県比内 対湘南戦5回レフトフェンスの上部に当たりながらもスタンドイン。8号ソロホームランの堀田選手の話
「打ったのはインコースのストレート。ちょっと詰まってたんですけど、今年はああいう打球が良く飛んでくれるんですよね。フェンスの上部に当たってスタンドイン?あっ、そうなんですか、ボールがはねたのは見えたんですけどね。それで高田コーチが“日頃の行ないだ”って言ってたんですね。状態?10日程前、胃腸炎で体調を崩してしまったんですけど、その間少し休ませてもらって、今は万全の状態に戻っています」
2002年6月4日(火)
〜ジャイアンツ公式HPより〜
西武第2球場 対西武戦2回表に先制の7号2ランHRを打った堀田選手の話
「打ったのは真中外よりのカットボールだと思います。打った瞬間はいい角度で上がったけど、ちょっと詰まり気味でしたからね。(一塁ベースコーチの)緒方さんが教えてくれるまで、入ったかどうか分かりませんでした。チームトップの7号?ホームランはいいんですけど打率がね。いい時と悪い時がはっきりしているので、その波を少なくしなくてはいけませんね」
2002年3月11日(月)
〜スポーツ報知・ジャイアンツ日記より〜
チームで唯一の北海道出身者、堀田。この日で札幌のオープン戦も終了し、少し寂しそうな表情を浮かべた。「9日は両親も来てくれたし、毎日、友達も応援に来てくれたんでうれしかったです」。しかし、北海道といっても、実家は札幌ドームから車で5時間もかかる広尾町。「東京の広尾とまったく同じ字なんですけど、土地の値段は大分違うだろうな。でも、やっぱり北海道は最項です」と、地元の温かさを痛感していた。
2001年5月18日(金)
〜スポーツ報知・「独身日記 堀田」より〜
◆“清原効果”で死球も平気◆
堀田が、清原に鍛えられている。練習中、近くにいると必ず背番号5に、パンチやひざ蹴りを食らう。格闘技好きの清原の一撃の威力は相当なもの。「痛いか?」と言われると、「大丈夫です」歯を食いしばって必死に答える。後輩思いの背番号5だけに、もちろん愛情表現のようなもの。「内角に来たときに怖がらないように。痛みになれるように」と会うたびに違う技をかける。「あの痛みに耐えられたら死球なんて大丈夫。多分、パンチの方が痛いでしょうから」と胸を張った堀田は“
清原効果”でいつも以上に堂々と打席に入ることができる。
2001年4月21日(土)
〜スポーツ報知・「独身日記 堀田」より〜
◆道産子・堀田 夏でも大丈夫◆
どうも堀田です。いつもよりちょっと早起きしてジャイアンツ球場に直行しました。この日は横浜球場でゲームがあるため、早出特打ができません。そこで室内練習場で1時間30分ほどフリー打撃をしました。ところが、朝食抜きで来たのを知人の方に怒られました。「もっと食べないと夏場に絶対反動が来るからな」確かに181センチで77キロ、見た目もちょっと細いのが悩み。ところが、その方が続けて「お前は道産子なんだから」。北海道出身がみんな夏に弱い訳じゃないし、大学で上京して9年目なんですけど…。
2001年4月19日(木)
〜スポーツ報知・ジャイアンツ日記より〜
ヤクルト3連戦から1軍に昇格した堀田が27歳の誕生日を迎えた。「まあ、誕生日といっても、もうそういう年ではないですから。でも、1軍で迎えられたことは少しうれしいけれど、結果を残さないといけないのでのんびりしていられません」と一層、気合が入っていた。特に誕生日といっても何をするわけでもないらしいが、同い年の三沢からお祝いメール。「正直うれしかったですよ」と何よりうれしいプレゼントでした
2001年3月24日(土)
〜スポーツ報知より〜
長嶋監督に「十分メジャーでいけます」と開幕1軍へ一歩前進したが、「油断せずに頑張ります」と全力で臨む。今後の2試合でラストスパートをかけるが「守備や走塁でも見せていきたいです」と誓っていた。
2000年12月26日(火)
〜スポーツ報知・ジャイアンツ日記より〜
木枯らしが吹き付けるジャイアンツ球場で、 堀田と来季からダイエーに移籍が決まった佐藤誠が、ランニングで汗を流した。さすがに、北海道出身コンビは、 寒さに強い。「思い出がたくさんある。 感謝の気持ちでいっぱいです」と球場を見渡す佐藤。「堀田さんも、ボクがいなくなるから、さみしいんでしょうね。顔が白いですよ」と先輩に目線を移した。「イヤ。寒いだけなんだ」笑顔でこたえる堀田との間に、冬の風が吹き抜けた。
2000年11月17日(金)
〜スポーツ報知より〜
シート打撃では三塁打を含む3安打の猛打賞。下半身主導の打撃が身に付いてきた。「だいぶん、うまくなってきたね。良くなっている」と付ききりで指導中の弘田打撃コーチ。
2000年11月16日(木)
〜スポーツ報知より〜
下半身から始動する打撃フォームに改造中。シート打撃では、入来の直球を左翼席まで運んで結果を出した。「今キャンプで続けたことが出来た。この感じを忘れたくない」とニヤリ。
2000年11月11日(土)
〜デジタルG党のメールより〜
◆堀田のアシに注目◆
野手はベースランニングやスライディングなど走塁に力を入れた練習メニュー。一塁への走塁とダイヤモンド一周のタイムを計測したが、堀田選手が俊足の二岡選手、川中選手らを上回る好タイム(一塁走塁:3.27秒、ダイヤモンド一周:14.20秒)を叩き出し、コーチ陣の注目を集めた。
2000年11月2日(木)
〜スポーツ報知・ジャイアンツ日記より〜
完全休養日となっている1軍。二岡と堀田は正午を過ぎてから、ジャイアンツ寮のロビーに降りてきた。『いやー。だれかが起こしてくれないと、ずっと寝ているよ』と堀田。『曜日の感覚が全然ない』と二岡も寝ぐせ頭で目をこすった。シーズン、日本シリーズの疲れが、ここへきてドッと出てきたのだろう。『まるで、寝正月。少し練習を始めないとね』と顔を見合わせた。練習の虫コンビだけに、そろそろ体がうずきだしてきた?
2000年10月27日(金)
〜デイリースポーツ朝刊3面より〜
「堀田キレた?8回元木の代走として登場した堀田は、今期初めての出場という報道に対して、やや気色ばんだ様子だった。実は3戦目にも出場していたのである」
2000年9月29日(金)
〜スポーツ報知より〜
7回2死、石井一から左中間へ二塁打を放ち、7月28日以来の安打をマーク。「前の打席で空振りしてたんで、コンパクトに打とうと思った」と狙った直球を叩いてニンマリ。
2000年7月21日(金)
〜スポーツ報知より〜
9回無死二塁から、代打で登場して、阪神・遠山から今季初安打となるタイムリー三塁打で、プロ初打点もマーク。「内角か外角に絞って打てと言われていたけど、何がなんだか・・・。走っている時も足がもつれました。でも、はい、とにかくうれしいですね」
2000年7月4日(火)
〜スポーツ報知より〜
<西山> 4日のヤクルト戦から1軍昇格。休日だったこの日は、都内で平松、堀田、佐藤充らとバーベキューでリフレッシュした。「この日のために調整してきたんですから、頑張りますよ」
2000年4月29日(土)
〜スポーツ報知・ジャイアンツ日記より〜
神宮球場の試合前に、ジャイアンツ球場で打ち込んだ堀田。もっかの悩みは、打撃の方ではなく"顔"にあった。「みんなから、白い、白いって言われるんだよな」と弱り顔。今季は開幕から1軍に帯同しているだけに、デーゲームではなくナイターばかり。「ファームの選手には、病気だ、病気だと冷やかされるんだよ」と"重病説"まで飛び出してガックリ。「美白って言って欲しいよね」北海道出身の男児代表として、語気を強めていた。
2000年4月19日(水)
〜スポーツ報知・ジャイアンツ日記より〜
巨人のイチローこと堀田一郎外野手が18日、26歳の誕生日を迎えた。「まぁ、寮だから特になんにもしないですけど。昨年の今ごろはファームで遠征に行ってましたからね」プロ入り4年目、初めて1軍でのバースデーに笑顔だ。しかし、一歩グラウンドに入ると「誕生日といっても、喜んでいる年じゃないでしょう。年を取ると体がむしばまれていくような気がしてねぇ。頑張らないと」改めて気持ちを引き締めた4月18日だった。
堀田一郎
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